六文銭

三途の川の渡し賃、真田の家紋、六文銭。
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次に向けて
 久しぶりに読み返すと、忘れかけていた出来事なども多くあって懐かしい。
他人事のようですが、わがブログ。

昨日のように思える出来事が、実際にはあっという間に6年以上の歳月が流れていたり・・・

これから頑張って書いていこうと思います。
22:25 | 雑記 | comments(1) | trackbacks(0)
近況報告
 自分の好きなこと感じたことを適当に書きなぐっていたこのブログ。
ふと気が付けば1年半近く放ったらかしになってました。

読んで下さっていた方の中にはご存知の方も多いかと思いますが、管理人は現在家族と共に種子島へ移住し、そこで島生活を送っています。
そんなこんなで、その島生活を綴ったブログを立ち上げ、当初はこちらと2足の草鞋でやっていくつもりだったのですが、元来が筆不精の自分にははなから無理な話でした。
こちらにあえてリンクは張っておりませんが、興味ある方は、『島と海とオートバイ』で検索してみて下さい。

またそろそろ管理人の好き勝手を、思いついた時にボチボチ書いていこうと思います。
22:19 | 雑記 | comments(1) | trackbacks(0)
CHE 28歳の手紙


”チェ”ゲバラが映画化された。

自分の信念のために戦い、栄光を掴みながら更なる理想を求め、夢半ばにして斃れた男。
カリスマ性があり、かっこ良くて若くして死んだとなれば世間は黙ってないでしょう。

2部作のうちの前半”28歳の革命”が現在公開中で、後半”39歳別れの手紙”が今月末に続けて公開される。

監督は”トラフィック”のスティーブン・ソダーバーグ。
監督デビュー作の”セックスと嘘とビデオテープ”以来のファンではあるが、時々”オーシャンズ11&12”とか”エリンブロコビッチ”とかわけの分からん映画も取ったりする、今一つかみ所の無い印象の監督。
今回の映画では殆ど全編に渡ってセリフがスペイン語で撮られ、俳優陣もラテンアメリカ系のハリウッドでは無名な俳優を多数キャスティングするなど、かなりの気合の入りようが感じられる。

そしてこの映画で”CHE”を演じるのは、以前から自分の一押しお気に入り俳優、ベニチオ・デル・トロ
今”チェ”を演るにはこの人以外に考えられない絶妙のキャスティング。

アメリカにとって長年に渡って目の上のたんこぶであるキューバ。
そしてそのキューバ革命を成功に導いた第一人者”チェ”を映画化し、
その”チェ”をプエルトリコ出身のベニチオ・デル・トロがスペイン語で演じるなんて、ハリウッドも変われば変るものですな。
今作ではプロデューサーとしてもクレジットに名を連ね、もともとソダーバーグに今作の映画化を進めたのもベニチオだったそうだ。

ちなみのこの映画でベニチオ・デル・トロは08年カンヌ映画祭、主演男優賞を獲得しました拍手

この”28歳の革命”は彼の前半生、キューバ革命を成功させるまでのいわば栄光への道程を描いた物で、映画の印象としてはまるでドキュメンタリー映画を見ているような感じでたんたんと物語りは進み、派手なアクションやドラマチックな展開を期待する輩にはかなり退屈かもしれない。
監督自ら語っているように、映画としては後半の”39歳”の方に重点を置いている様で、この先に待ち受ける挫折と死への序章として位置づけなのだろう。

以前ここにも書いた事のある”モーターサイクル・ダイアリー”が”チェ”の第一章とすれば、今回の2作によって第2章、第3章で”チェ”の生涯が完結される。

31日から公開の”39歳別れの手紙”が早く見てみたい。
22:25 | | comments(0) | trackbacks(0)
その土曜日、7時58分


まれに見る傑作です!!!☆☆☆☆☆
現在、梅田ガーデンシネマ他にて公開中

ありきたりな表現ですが、上映時間の2時間があっという間に感じるほど、緊迫感のあるストーリー展開。

完璧な計画だったはず・・・というありがちな話ではあるのに、その設定の意外さと人物描写、巧みな映像表現に引き込まれ、最後まで中だるみする事無く、緊張感を保ったままサスペンスは高まり、そのままラストへなだれ込んで行く。

時間軸をずらしながら、登場人物の行動と内面を見せていく表現方法は、ともすればとっちらかって支離滅裂になってしまいがちなものだが、さすが84歳のベテラン監督、シドニー・ルメットの職人芸、破綻なく観客を画面に引き込んでいきます。

俳優陣もそれぞれの持ち味を十分に発揮した演技で素晴らしい拍手
物語の鍵を握るやり手会計士の長男役に怪優フィリップ・シーモア・ホフマン
気は優しいけれどダメ弟役にイーサン・ホーク
両人共に個人的にも大好きな俳優で、期待を全く裏切らない名演技。

感動大作とか心温まるという類の映画ではありませんが、男の映画です。
かといって単にハードボイルドなだけの映画じゃあありません。

是非、見るべし!!!!
08:28 | | comments(4) | trackbacks(0)
郡上八幡
城下町、郡上八幡



昔ながらの町並みと美しい水路、そして山上に建つお城が美しい町。
小さな城下町は歩いて周るには丁度良い大きさ。

先日ツーリングの途中にちょろっと寄ってきました。

山城が好きですラブ
大きすぎる城は色気が無くて好きじゃない。

彦根城、備中高梁城など旅の途中に山上にお城が見えると、思わず立ち止まって眺めてしまいます。

天守閣があるに越した事はないが、ちゃちな模擬天守よりは何も無い城跡の方が好き。
高取城址、浅井城址、竹田城址、しんと静まり返った天空の城にいると心が洗われます。

写真の橋から夏には地元の子供達が飛び込む根性試しの名所。
かなり高いです。
16:06 | 2輪 | comments(0) | trackbacks(0)
洛北街道
最近はまっているのが、司馬遼太郎が『街道をゆく』で辿った道を自分の足で訪ねる旅。

今回は近場の京都へ連休中日にふらっとバイクで出かけてみた。
近いとはいえ、大阪からのアクセスの悪さから今まで足を運ぶ機会のなかった洛北方面。
現在の自治体名で言えば、京都府京北町から京都市左京区にまたがる範囲。
『街道をゆく』4巻、洛北街道で約30年前に司馬さんは訪ねている。
今回自分が辿ったルートは、司馬さんが辿ったのとは逆周りに、大阪〜亀岡〜周山〜山国〜花背〜鞍馬〜大阪というルート。

洛北街道野中でも大きく取り上げられていた山国郷にある常照皇寺、それから花背峠からまだ奥にある大悲山、峰定寺。
この2つの名刹が今回の主な目的地。

大阪〜阪神高速川西〜R477〜亀岡〜R9〜八木〜R477〜周山
ここまで約2時間半、酷暑も和らぎ走っていれば快適。
途中亀岡で渋滞にはまった時はうんざり。
最近地方へ行けば、どこもかしこも車だらけで、ほんとウンザリ・・・

八木から周山へ抜けるR477は、殆どが一車線ギリギリで、山深く薄暗い杉林の中をたんたんと走ります。
R477と周山街道が交差する所にある、ウッディ京北にて昼食。
周山の集落は山深い小さな集落ではあるが、京都にも近く歴史の舞台にも古くから登場する地域でもあるためか、田舎臭いという雰囲気ではなく、なにか雅た感じがする。

そこから10分ほど走ると、最初の目的地、常照皇寺に到着。

この辺りは古くから山国郷といわれ、歴史的な史跡も多く、有名な物ではこの常照皇寺の寺域に、14世紀、南北朝の頃に在位した北朝の光厳天皇など三天皇の御陵があり、山国陵と呼ばれる、御陵などもある。
その光厳天皇によって開創され、天皇ご自身も常照皇寺で亡くなられた。

司馬さんが訪ねられた頃は(観光に来たと言えば追い返される)というほど厳しい寺だったそうで、服装に関する注意書きまであったそうだが、さすがに現在は見当たらず。
注意書きの立て札はあるものの、ごく常識的なもの。
参道にも門内にもひと気は無い。方丈の戸は開いているが、内部も無人。
誰もいないが記帳と志納料を納め中を拝観させて頂いた。
境内には天然記念物に指定されている、九重桜をはじめとする枝垂桜があり、季節には見事な花を咲かせる事で有名。

今は花の季節でも、紅葉の季節でもないが、深緑に囲まれひっそりと佇む寺の境内に一人いると、浮世の汚れも清められるような気分で心が安らぐ。

しばらくの滞在後、次の目的地である寺大悲山、峰定へ向かう。
途中、農家の軒先で、おじいさんが手作りの栃餅を売っていたので、自分で食べるのと土産用に3パック買ってみた。
後で休憩に食べてみると、これが甘すぎず、餅も柔らかく素材の風味豊かで非常な美味。
もっと買っておけばよかったと後で後悔。

引き続きたんたんと山深い国道477を走ります。途中から県道に入り一段と山深い中をしばらく走ってから枝道に入ると、行き止まりが大悲山、峰定寺。
歴史は古く12世紀中頃に建立された修験道のお寺で、北大峰とも呼ばれ古来から修験道の行場となっている。
『街道をゆく』には須田画伯の感想として(一流の風景)とその景観の素晴らしさが記されている。
しかし自分はそれを読んだ以外、峰定寺について何の前知識も無いまま今回訪ねてきたので、いったいどれほどの風景なのか期待が高まる。
こちらの峰定寺も先程の常照皇寺と同じく、ひと気が無い。

参道脇には良い雰囲気の宿が1軒あり、そこには宿泊客の車が数台停まってはいるものの、外には参道にも寺の内部にも自分の他に人の気配は無い。
三方を山に囲まれたちょうど窪地に当たる部分に寺はあり、小川に沿うように参道を歩くと、古びた山門が左側にある。大きな門ではないが、古錆びた歴史を感じさせる門である。

門の後ろは山で、柵がしてあり古びた細い山道が見えるのみ。
今歩いてきた参道は門を左に見ながら奥へ続いていて、”なんで門は横向いて建っているのかな本堂はどこにあるのかな?”と不思議に思いながら奥の寺務所へ向かう。
此処だけを見れば確かに静かな良い所ではあるが、山門以外に特に見るべき建物も無く、窪地から周りの山々を見廻しても、(一流の風景)という程の物には感じられない。
そんな疑問を持っていたのですが、寺務所で拝観料を納める際に執事の方の説明を聞いて疑問が解けました。
本堂は山門の後ろの山にあり、門をくぐってそこから伸びる山道を辿っていった山の中腹にあるとの事で、壁の本堂の写真を見ると、なるほどコレは凄い!素晴らしく神秘的な建物。山上の緑の上に浮かぶお堂。

こちらのお寺では、観光の為の拝観ではなく、修行の為に本堂へ登るということで、一通り本堂までの山登りの注意と説明を受けます。
ちなみに冬季、雨天時、子供は本堂への参拝ができません。
紫色の袋をお借りして首から掛け、財布以外の所持品をお預けして(山門から内部は撮影禁止)出発。山門の柵を自分で開けて本堂を目指します。
成人男子の足で片道15分程度との事。門を抜けるとそこは昼なお暗い山の中。道は思ったよりも整備され、門をくぐってすぐは勾配もそれ程ではなかったのですが、次第に登りはきつくなり汗が噴出してきます。
本堂に近づくにつれ、道は行場らしく岩場を利用しながら上に登っていくようになり、道は苔むして雨天の際に拝観できなくなると言うのが頷けます。
大きな岩場を登りきると、目指す本堂がそこだけ日に照らされて上の方に姿を現します。
山の中腹の崖に建てられ、800年以上の年月を経た本堂。
余計な装飾も、観光の為に後世手を加えらた人工物も一切無く、ただひっそりと木々の間に浮かんでいます。
撮影禁止の為に写真はお見せできませんが、自然に溶け込んだ非常に美しい建物。
建物の様式は違いますが、建築方法としては有名な清水の舞台とよく似ています。
しかし周囲の風景やもの錆びた雰囲気など、自分的には完全に観光地化した清水よりも、峰定寺本堂の方が格段に上だと思います。

本堂の内部は公開されていませんが、本堂の周囲の欄干には入ることが出来ます。
そしてそこから眺める風景が”一流の風景”と讃えられたのが、なんの疑問も無く頷ける、それはそれは素晴らしい風景です。
そしてここまでずっと誰とも出会わず一人ですし、この風景ももちろん独り占め。
どこもかしこも観光地化された現代において、なんと贅沢な事でしょうか。
此処までの登り道で汗だくになった身体を、吹き抜けていく山風が心地よく冷やしてくれます。
目前に見える木々と、遠くに見える深緑に包まれた洛北の山々を眺めながら、しばし一人だけの贅沢な時間を過ごし、名残惜しいながらも下山。

寺務所に帰りつくと同時に雨が降りだし、しばらく雨宿りさせてもらいながら、執事の方と地元のおばあちゃんと雑談。
現在、峰定寺の執事をされている方は、『街道をいく』に登場される当時の住職の未亡人で、今はお一人でこちらの管理全てをされているとの事。
お話の節々に、しみじみとこちらへの愛着が感じられ、都会の喧騒に嫌気がさしている自分としては、心底羨ましいと思う。
日ごろ人間関係の希薄な都会に生活していると、通り雨が過ぎるのを待ちながら、方言交じりのおばあちゃんの地元話を聞いているだけで、なにかとても安らいだ気分になってくる。

今の時代、どこへ行っても人だらけで、特に京都のお寺などは、寺を観に行ってるのか人を見に行っているのかわからない状態で、それに嫌気がさして雰囲気を楽しむ間もなく帰る事が多々あるのですが、今回訪ねたお寺では、どちらのお寺も最後まで自分以外の誰とも出会わず、一人の贅沢な時間を堪能する事が出来、非常に心に残る旅となりました。
22:24 | 司馬遼太郎めぐり | comments(0) | trackbacks(0)
関ヶ原に思うこと
関ヶ原の合戦

この文字通り日本史上最大、天下分け目の合戦を思う時、歴史に『もし』を持ち込む事の愚かさを充分わかっていながらも、もし西軍が勝っていたら、日本人というものが今のそれとはかなり違ったものになっていただろうなと思ったりする。

実際に、作戦規模、兵員数、陣地、どれをとっても西軍の方に有利であったし、単純にそれらだけを比較すればとても西軍が負けるような予想はどうにも付きにくい。
であるのに、実際にはあっけなく半日程度で西軍は壊滅した。
そこが人間の集団というものが戦う上での難しさというか、おかしさというか、怖さというか。
どんなに物理的に有利であっても、結局物事の行方を決めるのは人の心であり、時の勢いであり、それらを上手く利用しまとめあげる手管は、戦国生え抜きの家康に対して、豊臣政権のいち奉行でしかなかった三成では役不足だったという事でしょう。

でも自分は石田三成が好きです。
実際にどんな人だったのかはもちろん知りませんが、残された肖像画を見てもいかにも頭の回転の速そうな美丈夫で、物事にはっきり黒白付けるタイプに見えます。
それ故に敵も多く作ってしまう人間だったのでしょう。
裏でごそごそ今の政治家タイプで狸親父の家康とは全く印象は違います。

現在に生きる自分達は関ヶ原後の家康がとった行動を全て知っています。
この後にあらゆる権謀術数の限りを尽くして豊臣家を葬り、徳川家を守る為だけの幕府を作り、あれやこれやの禁制やら200年以上に及ぶ鎖国までして、世界的に見ても類の無い特異な国と人間を創り上げました。

やはりこの関ヶ原の合戦の後に取った行動の陰湿さが、家康をしてなにか暗い陰険な感じがして、それ故に世間的にもあまり人気が無いのでしょう。
そしてその家康が創った徳川幕府の気風が、彼の率いる三河武士の気風をそのまま引継ぎ、秩序だってまとまりはあるものの、堅苦しく非常に保守的な世の中を創りあげていった事が、今の日本人の性質と深く関係していると思います。

よく知られているように、武士道であるとか主への忠誠心であるとかそういった類の物は、江戸期以前には存在しなかった思想であり、全て江戸250年の太平の世の中でもはや兵としての存在価値の無くなったサムライというものを、徳川幕府を頂点とする封建社会という社会秩序の中において存在さらしめる為に創り上げられた。
元は戦場で人を切る為の道具に過ぎなかった刀が、その目的から飛躍して精神性を帯びるようになったり、その他〜道と付く類の物は殆どこの江戸期に確立されたものが多いようだ。

自分自身、武士道であるとかそういった類の物には惹かれる性質ではあるが、やはりそこに窮屈さであるとか、せせこましさみたいなものを感じたりする事がある。
00:51 | 雑記 | comments(1) | trackbacks(0)
備前長船
先週の日曜日、ちょいと届け物がありまして、そのブツを届けに岡山へ。
第二神明、加古川バイパス以外は全て下道で行きましたが、日曜日の早朝出発とあって道も空いていたので、3時間で目的の友人の家に到着。
友人は不在ですが、ご両親に言付けておいてもらったので、ご挨拶の後にブツを預けさせて頂きました。

この日は雨男の僕には珍しく、天気が良くって最高の行楽日和。
このまま真直ぐに大阪へ帰るのもあまりに愛想が無いので、すぐ隣があの刀で有名な長船町ということで、備前長船刀剣博物館へ足を運びました。



古代から良質の砂鉄が取れた中国山地と、それを運ぶ吉井川の水運によって刀鍛冶の町として栄えた長船からは、数々の名刀鍛冶と名刀が生まれています。

それらの歴史と、刀についての知識と伝統を現代に伝える為に作られた博物館で、刀や歴史が好きな人にはたまらないと思います。

自分も刀は知識は無いながらも大好きでして、人を切るという事のみを追求した極限の機能美に心が奪われます。

この博物館の目玉は、なんと言っても2階の展示室に飾られる、名刀の数々でしょう。
室町、南北朝の頃に作られた古太刀から、江戸時代の一品までが数多く展示されています。

それら多くの名刀の中でも、やはり有名な一品は只ならぬ風格と言うか気品が漂っていて、説明を読む前にすでに目が奪われます。



その後に説明文をみて”あ〜これが有名な・・・か〜”と納得させられます。



かの有名な虎徹、機能一点張りの胴田貫、怪しく輝く村正、美しい正宗など、本物だけが持つ妖艶な美しさをこの目で見れた事は、まさに眼福でした。



00:04 | 雑記 | comments(5) | trackbacks(0)

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