最近はまっているのが、司馬遼太郎が『街道をゆく』で辿った道を自分の足で訪ねる旅。
今回は近場の京都へ連休中日にふらっとバイクで出かけてみた。
近いとはいえ、大阪からのアクセスの悪さから今まで足を運ぶ機会のなかった洛北方面。
現在の自治体名で言えば、京都府京北町から京都市左京区にまたがる範囲。
『街道をゆく』4巻、洛北街道で約30年前に司馬さんは訪ねている。
今回自分が辿ったルートは、司馬さんが辿ったのとは逆周りに、大阪〜亀岡〜周山〜山国〜花背〜鞍馬〜大阪というルート。
洛北街道野中でも大きく取り上げられていた山国郷にある常照皇寺、それから花背峠からまだ奥にある大悲山、峰定寺。
この2つの名刹が今回の主な目的地。
大阪〜阪神高速川西〜R477〜亀岡〜R9〜八木〜R477〜周山
ここまで約2時間半、酷暑も和らぎ走っていれば快適。
途中亀岡で渋滞にはまった時はうんざり。
最近地方へ行けば、どこもかしこも車だらけで、ほんとウンザリ・・・
八木から周山へ抜けるR477は、殆どが一車線ギリギリで、山深く薄暗い杉林の中をたんたんと走ります。
R477と周山街道が交差する所にある、ウッディ京北にて昼食。
周山の集落は山深い小さな集落ではあるが、京都にも近く歴史の舞台にも古くから登場する地域でもあるためか、田舎臭いという雰囲気ではなく、なにか雅た感じがする。
そこから10分ほど走ると、最初の目的地、常照皇寺に到着。
この辺りは古くから山国郷といわれ、歴史的な史跡も多く、有名な物ではこの常照皇寺の寺域に、14世紀、南北朝の頃に在位した北朝の光厳天皇など三天皇の御陵があり、山国陵と呼ばれる、御陵などもある。
その光厳天皇によって開創され、天皇ご自身も常照皇寺で亡くなられた。
司馬さんが訪ねられた頃は(観光に来たと言えば追い返される)というほど厳しい寺だったそうで、服装に関する注意書きまであったそうだが、さすがに現在は見当たらず。
注意書きの立て札はあるものの、ごく常識的なもの。
参道にも門内にもひと気は無い。方丈の戸は開いているが、内部も無人。
誰もいないが記帳と志納料を納め中を拝観させて頂いた。
境内には天然記念物に指定されている、九重桜をはじめとする枝垂桜があり、季節には見事な花を咲かせる事で有名。
今は花の季節でも、紅葉の季節でもないが、深緑に囲まれひっそりと佇む寺の境内に一人いると、浮世の汚れも清められるような気分で心が安らぐ。
しばらくの滞在後、次の目的地である寺大悲山、峰定へ向かう。
途中、農家の軒先で、おじいさんが手作りの栃餅を売っていたので、自分で食べるのと土産用に3パック買ってみた。
後で休憩に食べてみると、これが甘すぎず、餅も柔らかく素材の風味豊かで非常な美味。
もっと買っておけばよかったと後で後悔。
引き続きたんたんと山深い国道477を走ります。途中から県道に入り一段と山深い中をしばらく走ってから枝道に入ると、行き止まりが大悲山、峰定寺。
歴史は古く12世紀中頃に建立された修験道のお寺で、北大峰とも呼ばれ古来から修験道の行場となっている。
『街道をゆく』には須田画伯の感想として(一流の風景)とその景観の素晴らしさが記されている。
しかし自分はそれを読んだ以外、峰定寺について何の前知識も無いまま今回訪ねてきたので、いったいどれほどの風景なのか期待が高まる。
こちらの峰定寺も先程の常照皇寺と同じく、ひと気が無い。
参道脇には良い雰囲気の宿が1軒あり、そこには宿泊客の車が数台停まってはいるものの、外には参道にも寺の内部にも自分の他に人の気配は無い。
三方を山に囲まれたちょうど窪地に当たる部分に寺はあり、小川に沿うように参道を歩くと、古びた山門が左側にある。大きな門ではないが、古錆びた歴史を感じさせる門である。
門の後ろは山で、柵がしてあり古びた細い山道が見えるのみ。
今歩いてきた参道は門を左に見ながら奥へ続いていて、”なんで門は横向いて建っているのかな本堂はどこにあるのかな?”と不思議に思いながら奥の寺務所へ向かう。
此処だけを見れば確かに静かな良い所ではあるが、山門以外に特に見るべき建物も無く、窪地から周りの山々を見廻しても、(一流の風景)という程の物には感じられない。
そんな疑問を持っていたのですが、寺務所で拝観料を納める際に執事の方の説明を聞いて疑問が解けました。
本堂は山門の後ろの山にあり、門をくぐってそこから伸びる山道を辿っていった山の中腹にあるとの事で、壁の本堂の写真を見ると、なるほどコレは凄い!素晴らしく神秘的な建物。山上の緑の上に浮かぶお堂。
こちらのお寺では、観光の為の拝観ではなく、修行の為に本堂へ登るということで、一通り本堂までの山登りの注意と説明を受けます。
ちなみに冬季、雨天時、子供は本堂への参拝ができません。
紫色の袋をお借りして首から掛け、財布以外の所持品をお預けして(山門から内部は撮影禁止)出発。山門の柵を自分で開けて本堂を目指します。
成人男子の足で片道15分程度との事。門を抜けるとそこは昼なお暗い山の中。道は思ったよりも整備され、門をくぐってすぐは勾配もそれ程ではなかったのですが、次第に登りはきつくなり汗が噴出してきます。
本堂に近づくにつれ、道は行場らしく岩場を利用しながら上に登っていくようになり、道は苔むして雨天の際に拝観できなくなると言うのが頷けます。
大きな岩場を登りきると、目指す本堂がそこだけ日に照らされて上の方に姿を現します。
山の中腹の崖に建てられ、800年以上の年月を経た本堂。
余計な装飾も、観光の為に後世手を加えらた人工物も一切無く、ただひっそりと木々の間に浮かんでいます。
撮影禁止の為に写真はお見せできませんが、自然に溶け込んだ非常に美しい建物。
建物の様式は違いますが、建築方法としては有名な清水の舞台とよく似ています。
しかし周囲の風景やもの錆びた雰囲気など、自分的には完全に観光地化した清水よりも、峰定寺本堂の方が格段に上だと思います。
本堂の内部は公開されていませんが、本堂の周囲の欄干には入ることが出来ます。
そしてそこから眺める風景が”一流の風景”と讃えられたのが、なんの疑問も無く頷ける、それはそれは素晴らしい風景です。
そしてここまでずっと誰とも出会わず一人ですし、この風景ももちろん独り占め。
どこもかしこも観光地化された現代において、なんと贅沢な事でしょうか。
此処までの登り道で汗だくになった身体を、吹き抜けていく山風が心地よく冷やしてくれます。
目前に見える木々と、遠くに見える深緑に包まれた洛北の山々を眺めながら、しばし一人だけの贅沢な時間を過ごし、名残惜しいながらも下山。
寺務所に帰りつくと同時に雨が降りだし、しばらく雨宿りさせてもらいながら、執事の方と地元のおばあちゃんと雑談。
現在、峰定寺の執事をされている方は、『街道をいく』に登場される当時の住職の未亡人で、今はお一人でこちらの管理全てをされているとの事。
お話の節々に、しみじみとこちらへの愛着が感じられ、都会の喧騒に嫌気がさしている自分としては、心底羨ましいと思う。
日ごろ人間関係の希薄な都会に生活していると、通り雨が過ぎるのを待ちながら、方言交じりのおばあちゃんの地元話を聞いているだけで、なにかとても安らいだ気分になってくる。
今の時代、どこへ行っても人だらけで、特に京都のお寺などは、寺を観に行ってるのか人を見に行っているのかわからない状態で、それに嫌気がさして雰囲気を楽しむ間もなく帰る事が多々あるのですが、今回訪ねたお寺では、どちらのお寺も最後まで自分以外の誰とも出会わず、一人の贅沢な時間を堪能する事が出来、非常に心に残る旅となりました。